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2013年7月17日水曜日

ママが知りたい憲法の話 中里見博氏講演(2013.7.11)  報告 №3

先日(7月16日にアップ済み)の報告の続きです。

【武藤類子さんスピーチ    ー原発とは対極にある新しい世界をつくるために】
これは武藤類子さんの2011年9月のスピーチの一節です。
原発と書いてあるところを、改憲と言い換えれば、そのまま今日のテーマにも当てはまると思うんです。
 
「どうしたら、原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。でき得ることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分でできることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人にその力があることを思い出しましょう。私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横につながり続けていくことが、私たちの力です」。
 
そういう気持ちで、私もやっていきたい、というふうに思っているんですね。
 
~1.《はじめに》の項終わり。~
 
2.《憲法の意義》
まず「憲法の意義」から簡単にお話をして、それから「改憲問題の現在」ということについてお話をし、それから「自民党の改憲案の中身」についてお話したいと思います。
 
【近代憲法とは?  ー憲法と法律の違い】
まず、18世紀の近代市民革命によってつくられた近代憲法と法律の違いについて触れます。日本国憲法も、近代憲法の一種だからです。
さて、憲法も「法」です。しかし「法律」ではありません。
実は、「法律」という概念には、広い意味と狭い意味があって、広い意味での「法律」は「法」と同じです。そういう意味では、憲法も「法律」と言えます。
しかし、「法律」を狭い意味で使えば、「国会の議決によって制定される国法の一形式」のことを指します。そうすると、憲法は「法律」ではないのです。そして、憲法のことを考えるときには、狭い意味での法律とは違う、ということを認識することが非常に大切なのです。
 
では、どのように違っているのか。
憲法と法律を、それぞれの「制定者」、「名宛人(なあてにん)」つまりだれに向けてつくられているか、「目的」、そして「内容」と「効果」という観点から考えていきますと、憲法というのは、制定者は「国民」です。そして、名宛人は「政府」です。つまり、国民が制定して、政府に守らせる法、それが憲法です。
それに対して、「法律」は、制定者は国会つまり広い意味の政府であり、名宛人は国民です。つまり、法律は、政府がつくり、国民に守らせる法です。
憲法との違いは明らかですね。制定者と名宛人が、見事に逆転しています。
次に「目的」ですが、憲法の目的は、第一に政府の権力を創り出すこと、そして第二に、それと同時に政府の権力を限定・制限し、国民の権利を保障すること。これが憲法、近代の憲法の目的です。
つまり、近代憲法の基本的な考え方は、政府が持つ国家権力というのは国民に発していて、国民がその力を政府に信託した、信頼して託したんだっていう考えなのです。いわゆる社会契約説ですね。
国民に国家の統治権が由来する、という考えの以前は、たいていは権力の源泉は「神」でした。いわゆる「王権神授説」ですね。戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)も、天皇の統治権は、天照大神まで続くところの日本式の王権神授説によって立っていました。
それに対して、近代憲法は、国民に由来する政府の権力の具体的なあり方、行使の仕方、その限界など定めるものなのです。それが、〈権力を創ると同時にそれを制限し、国民の権力を保障する〉ということの意味です。
さて、それに対して法律の目的は、〈憲法と矛盾しない範囲で国民生活を規律する〉ことです。法律は、政府が国民に向けて、国民生活を規律する目的で、制定する法規範なのです。それは、国民の権利を保障する側面もあれば、義務を課し、権利を制限する場合もあります。しかし、政府は、どんな法律でもつくれるわけではなく、憲法の範囲内で、とくに憲法が国民に保障する人権を侵害しない範囲でしか、法律をつくることはできません。
 
以上述べてきたことは、「近代憲法」つまり、18世紀の市民革命によって作られた、作られるようになった憲法です。時代区分としての近代以降にできた憲法です。
近代以降であっても、市民革命を経ていない国では、近代憲法ではない憲法を持ち続けた国もあるし、新たにつくった国もあります。大日本帝国憲法(明治憲法、1889年発布)もその一例です。それは、国民が定めたという意味の「民定」憲法ではなく、君主が臣民に与えたという意味で「欽定」憲法の一種です。欽定憲法は、むしろ国会制定法である法律と本質的に変わりません。
それに対して、日本国憲法は、それ自体が持っている性質は、近代憲法なんです。ただ、後にも述べますが、日本は、近代憲法が制定される通常の歴史を経ていません。通常の歴史とは、市民が革命を起こし、多くの場合、王=君主の首をはねて、近代憲法を勝ち取り、政府に押しつける、という歴史です。それだけに、日本国憲法自体の近代憲法としての性質に、どれだけ実体が伴っているか、具体的な歴史的事実が備わっているか、という問題があります。
これについては、しかし次のように考えるべきでしょう。日本国憲法の制定プロセスでは、たしかに実体、歴史的事実が伴っていなかった面は否定できませんが、その後約70年に及ぶ、憲法を維持し、その人権、主権、平和を活かすさまざまな実践活動の歴史が、日本という国に特殊な近代憲法の「制定プロセス」なのだ、と。
 
【憲法の内容と効果】
次に「内容」と「効果」です。まず憲法ですが、憲法の「内容」は、〈政府に権限を付与し、政府の奪うことのできない(あるいは実現すべき)国民の権利を定める〉ということになります。
効果は〈憲法に反する法律その他政府の一切の行為を無効にする〉という力を持っています。もちろん、それを判断するのは裁判所です。
では、国民の権利以外は定めていないのかというと、そうではなく、国民の義務の定めもあります。日本国憲法が定める義務は3つ、納税の義務、勤労の義務、そして、保護する子どもに普通教育を受けさせる義務です。
しかし、憲法の本質的な内容と効果は、いま述べたとおりです。
 
【法律の内容と効果】
それに対して、法律の「内容」は、〈国民どうしが取り結ぶ社会生活上の行為や関係を規律すること〉です。例えば、家族関係、商取引関係、犯罪行為などです。
法律の「効果」は、〈最終的には、政府の強制執行によって国民に強制できる〉ということです。
しかし、繰り返しですが、法律というのは、憲法に反する内容のものはつくれない。法律の上に憲法があります。その憲法を創ったのは国民だから、法律の上に憲法があり、憲法の上に国民があるっていう構造になっています。
 
【近代憲法とは国民が創り、国家権力を縛るもの】
以上を要するに、日本国憲法もそこ含まれるところの「近代憲法」とは、〈「国民」が創り、「政府(国家権力)」を縛るもの〉であって、そのことを別名、「立憲主義」とも言います。
日本国憲法は、その「国民が創る」という部分を次のように述べています。
〈日本国憲法前文第1文「日本国民は…ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」〉
「日本国民」が主語になっていますね。先ほども触れたように、実際に日本国民がこの憲法を創ったのか、欧米の近代憲法制定と同じようなプロセスだったのかというと、かなり特殊な歴史を歩みますけれど、しかし、憲法の文言はそうなっています。
次に、国家権力を縛るという点ですが、その象徴的な文言が、99条にあります。「憲法尊重・擁護の義務」を述べている条項です。
〈第99条 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」〉。
「摂政」というのは、即位した天皇が未成年であったり、あるいは天皇が事故等で執務できないという場合に代行する人のことです。
つまり、国家権力担当者ですね。すべての国家権力担当者は、この憲法を尊重し擁護する義務を負うって書いてあるんです。
この中に、「国民」が入ってない。
憲法を尊重擁護する義務を負っている者に国民が入ってないのは、書き忘れてるんじゃなく、誰がこの憲法に縛られるのかを表現しているんです。
このような立憲主義というのは、近代憲法の本質的な特質であるわけですが、あまり国民のあいだに浸透していません。大学生たちも、そのことをあまり認識しないまま大学に入ってきて、憲法の授業を受けます。
その原因の一つは、高校までの教育で、立憲主義の重要性について教えられないことがあります。憲法は、刑法や民法や労働法と違って、珍しく高校までの授業で習う法なのですが、そこでは、憲法の三大原則、「主権在民・人権保障・平和主義」だけを学ぶことが多いんです。しかし、憲法の本質的な任務が、国民がつくって権力を縛る、という立憲主義にあるんだということが教えられてきていません。
今、この憲法の立憲主義という本質的な役割を変えてしまおうという改憲の議論が、自民党を中心になされています。その結果、今急速に国民のあいだに「憲法は政府を拘束する法なんだ」ということが、普及し始めています。
日本国憲法が制定されて約70年で、初めてこの立憲主義という考え方が国民に広く知れ渡るようになった。それは、それが危機に陥れられたことによって、逆説的に知られるようになった、という面があると思います。


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